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カテゴリ:学校生活の様子
全校朝礼 -
6月10日(月)全校朝礼を行いました。運動会直後の朝、折しも雨模様で今日にも梅雨入りかというタイミングでしたが、みんな元気に登校しました。校長先生からは土曜日の運動会について、クラスの団結や、応援で互いに鼓舞し合う「我夢者良」な姿が感動的だったとの話がありました。
運動会終了後、期末考査を経て7月になると2年生は職場体験を行う予定ですが、それに関して、「何のために働くのか?」「なぜ勉強するのか?」を自分なりに考えてほしいとの話もありました。(参考:→ 進路選択とアンパンマン)
また、三つの「かく」についての話がありました。三つの「かく」とは、「恥をかく」(聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥ということばから、人に習うことを恥ずかしく思うべきではないということ。)・「文字をかく」(書くということは、論理的な思考、理解力、表現力、説得力など、言語能力を高めるために必要ということ。参考:→ 二百字で作文を書く)・「汗をかく」(人のために汗を流して働くことは、何ものにも代え難い充実感ややり甲斐など、結局自分のためになるということ。)です。
続いて、本日から始まる教育実習生の紹介があり、2週間教育の現場で生徒たちと向き合い、将来の教職を目指していく決意が述べられました。
運動会が終わり、三中は次のステージに向けて動き出しました。全員で心ひとつに取り組んでいきましょう。公開日:2025年06月10日 09:00:00
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カテゴリ:学校生活の様子
第一回 校内研修会 -
今年度の校内研修会は、「主体的に取り組む態度の育成~指導と評価の一体化に向けた授業改善~」を研究主題とし、令和5・6年度の2年間の研究の成果をさらに発展させるとともに、研究内容から浮かび上がった課題を改善していくために研究を継続させ、他の人と考えを交流しながら課題を解決する活動を取り入れた授業の検討・実施を行っていくことを目標としています。
一回目は、文系グループと理系グループの二つに分かれ、国語と数学の研究授業を行いました。
公開日:2025年05月28日 15:00:00
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カテゴリ:学校生活の様子
一学期中間考査 -
5月8・9日は中間テストが行われます。一学期の中間テストは修学旅行や運動会の日程の関係で毎年前後することが多いのですが、今年は連休明け直後ということで、準備はどうだったでしょうか。各教室では懸命に答案用紙に向かう生徒たちの姿がありました。健闘を祈りたいと思います。
公開日:2025年05月08日 11:00:00
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カテゴリ:学校生活の様子
前期生徒総会 -
5月2日(金)前期生徒総会を行いました。生徒会執行部の前期目標は「泉」、下から三中を支える泉のように柔軟な活動ができるようにとの心意気が込められています。各委員会からも特色ある目標や活動方針が出され、三中生徒会活動が本格的に始動しました。
公開日:2025年05月07日 09:00:00
更新日:2025年05月07日 10:55:39
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カテゴリ:学校生活の様子
卒業アルバムを繙く その6 -
「卒業アルバムを繙く」も回を重ね、最終の6回目となりました。今回は2010年以降、現在までの記録をたどっていきます。
前回「卒業アルバムを繙く その5」はこちらです。
2010(平成22)年時 現在に続く校舎の全容が見えています。
くぬぎ祭 舞台発表の様子。
合唱コンクール 学生服で指揮をする姿も見えますね。
2011(平成23)年 この年の3月11日、東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災が発生しました。
震災は日本中に衝撃を与えましたが、校庭の桜はいつもと変わらず希望の花を咲かせます。
セカンドスクールは白馬方面にスイッチしました。
この年の球技大会は東日本大震災の直前となりました。
2013(平成25)年時 校庭北西側の芝生の部分も整備が完了しています。
くぬぎ祭での活動は生涯忘れ得ぬ記憶として残るものと言えます。
合唱コンクール 文化会館大ホールの舞台で歌ったことも貴重な体験の一つ。
2016(平成28)年時 図書室の窓には今に続く「責任ある自由」の文字が見えます。
農作業をはじめとするセカンドスクールでの一つ一つの活動も忘れ得ぬ記憶に…。
大むかでは今も運動会の花形競技です。
くぬぎ祭とともに「合同体育」の文字が 一つ一つが卒業までの足跡。
ステージ奥には現在も使われているタイトル横断幕が登場。
このとき植えた稲は大きく育ってくれたのでしょう。
一生懸命バトンをつなぐ、それは互いの心をつなぐこと。自分のために、そして仲間のために走ります。
くぬぎ祭 日々の地道な準備と練習の成果が当日に表れます。
2018(平成30)年時 正門校名板や百葉箱は先代のものですね。
セカンドスクールでは白馬村のゆるキャラ”ヴィクトワール・シュヴァルブラン・村男三世”も登場。
大むかででは先生たちも声援を送りながら伴走しています。
東京オリンピック間近か、五輪マークも見えるくぬぎ祭。
2019(平成31・令和元)年時 移転した法政一高跡も整備が進みました。
校舎の姿は今に至るものになっています。
耕運機で田を耕すのも貴重な体験です。
セリフを覚える、人に伝わるように声を出す、これぞコミュニケーションの基本。
白馬ジャンプ台の表彰台に上りました。学校生活も目指せ表彰台!
若い力が躍動する運動会 全員リレーは戦略と協力と努力で勝負します。
舞台発表は出演するキャストはもとより、縁の下の力持ちとしてのスタッフも重要な存在です。
白馬村での体験が生徒同士の心をつなぎ、将来に花開く種子となります。
運動会 走る、跳ぶ、投げる、若き力が躍動します。
ジャンプ台からの眺め 黒部ダムの光景 忘れ得ぬ思い出。
我々の思い、天に届け!
2020(令和2)年3月、新型コロナウイルス感染症対策により、翌年度5月末までの三ヶ月間、全国一斉の休校措置がとられました。修学旅行やセカンドスクールも中止になるという状況、学校行事も中止・規模縮小となるなど、大きな影響が出ました。
この年の運動会では、まだ感染症対策でマスクを付けたまま競技に参加する場面も多くありました。
しかし、時代は変われども、前に向かって懸命に走る生徒の姿は不変です。
これまで、本校に所蔵されている学校保存用の卒業アルバムを繙いてきました。
昭和26年に開校してから現在まで、施設・環境は大きく変化しましたが、生徒たちが活動する姿というものは時代を超えて不変のように思われます。
これからも三中は歴史を刻み続けます。現校舎の改築の話題も上がってきていますので、10年、20年後には全く違った姿になっていることと思いますが、そこで生活する生徒たちの活気ある活動は変わらずに続いていくものと思います。
どのような時代になろうとも、伝統を受け継いで更なる高みを目指す三中でありたいと思います。
公開日:2025年05月07日 08:00:00
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カテゴリ:学校生活の様子
卒業アルバムを繙く その5 -
「卒業アルバムを繙く」その5は、2000年代に入ってからの記録です。21世紀初頭となるこの時代、三中の歴史はどう変化していったのでしょうか。今回も年を追って見ていきましょう。
前回「卒業アルバムを繙く その4」はこちらです。
2000(平成12)年時 現在の芝生部分はまだ整備中のようです。
ダンスが一般にも広がりを見せ始めたこの頃、演劇での動きが大きくなったように見えます。
何事にも集中して取り組む姿勢はしっかりと受け継がれています。
平成12年の合唱コンクール 各クラス服装などにも工夫を凝らす様子が見られます。
高遠でのセカンドスクール 楽しく充実した様子がうかがえます。
キャンプファイヤーでは火の神が登場していますね。
2年生で川越へ遠足に行っています。喜多院や菓子屋横町での様子が見えます。
年々進化するくぬぎ祭 合唱コンクールも全員一丸で取り組みます。
離任式もコーナーを設けて記録しています。
2003(平成15)年の扉写真は、2000(平成12)年時のものが使われているようです。
授業風景のページ 一つ一つのシーンが思い出として残っています。
くぬぎ祭の演劇 大道具・小道具・そして衣装にも趣向を凝らして取り組みます。
各クラスが思いを込めて歌い上げる合唱コンクール 表彰では喜びが溢れます。
2004(平成16)年 校舎の全容は変わらず、周囲に点描となる写真を配しています。
みんなで協力して大きな一つのものを創り上げるという課題、その解答がくぬぎ祭に示されています。
合唱も心を一つにしてはじめて完成する瞬間芸術です。
2006(平成18)年時 安定期とも言うべきか、校舎の様子はここ数年変化がありません。
授業中、休み時間、生徒同士や先生との関わりの中で自分が成長していきます。
セカンドスクールは5月の実施、田植えをしていますね。
くぬぎ祭の演劇には先生方も登場しています。
平成18年の合唱コンクール ピアノの横に純白の花が飾られています。
2008(平成20)年時 久々に別アングルからの校舎全景写真が登場しました。
上の中央部分写真の拡大。
セカンドスクールのコーナーには雨の上高地河童橋のカットがありますね。
ハードルを蹴散らして疾走する障害物走 競技種目は近年のものに近づいています。
くぬぎ祭での発表場面 吹奏楽部は張出舞台も使って熱演。
指揮者・伴奏者に加え、ギター演奏を加えたクラスもあったようです。
時代は21世紀に入り、IT技術の進歩やグローバリズムの台頭とともに、地球温暖化などさまざまな問題が顕在化し、持続可能な発展を遂げる社会への転換が模索され始めた頃です。三中では施設・設備の改修を続けるとともに、生徒たちの創造的な活動を着実に進めてきました。時代が変化しても、伝統を受け継ぎながら新たな価値を見出していくという姿勢は、現在の三中の基盤となっています。
次回は2010年代から現在に至るまでを見ていきます。
「卒業アルバムを繙く その6」に続きます。
公開日:2025年05月06日 16:00:00
更新日:2025年05月06日 20:21:59
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カテゴリ:学校生活の様子
卒業アルバムを繙く その4 -
「卒業アルバムを繙く」その4は1990年代の記録です。90年代はバブル崩壊により、失われた10年間と呼ばれる(後にこれが20年、30年と続いていってしまうのですが…)時代となります。社会的には閉塞感の漂う時代となってきますが、三中ではこの間、どのような歴史を刻んでいたのでしょうか。年を追って見ていきましょう。
前回「卒業アルバムを繙く その3」はこちらです。
1990(平成2)年、西側校舎が廃され、現在の職員玄関に至る階段が設置されました。校舎本体の修繕もまもなくです。
授業風景のページ、生徒たちは淡々と日々の学校生活を重ねていました。
第39回運動会 裸足で校庭を走り回る競技もあったのですね。
生徒総会の様子 なぜかこの頃すでに珍しくなってきたモノクロ写真 まさかバブル崩壊の影響?
数えること5回目のくぬぎ祭 趣向を凝らした作品展示や演劇のパフォーマンス
1993(平成5)年。傷んでいた校舎の改装が完了、美しい姿を取り戻しました。
1年時の思い出ページ くぬぎ祭の写真は上と同じ第5回
これは3年生のときの思い出ページ 壮大なテーマのもとで生徒のパワーは全開!
平成5年時のくぬぎ祭舞台発表 演劇をはじめ、現在に至る基礎が固まってきました。
こちらは展示見学の場面 さまざまな作品に興味津々ですね。
1994(平成6)年時の扉写真 再塗装されて美しくなった現校舎が目立ちます。
1995(平成7)年時 現校舎リニューアルで東校舎の傷みが目立つようになってしまいました。
北門もリニューアル工事中 西校舎の姿はすでにありません。
運動会では聖火ランナーが登場 まだ組体操も全盛の時代です。
合唱コンクール 会場は体育館でしょうか、後ろにバスケットゴールが見えます。
1996(平成8)年時 東校舎壁面の色以外はほぼ現在の状況と同じになりました。
この年のくぬぎ祭のテーマは「生命」とのこと。壮大なテーマを追い続けています。
運動会、全員が横ラインの入った新デザインのTシャツを着用していますね。
1997(平成9)年時の扉写真 西校舎のあった部分は更地となり、その分校庭が広がっています。
運動会でのリングウエーブ 全員が心を一つにして見事な演技を披露します。
平成8年のくぬぎ祭 アイディアに磨きがかかっています。
演劇もパワーアップしてきているようですね。
この年の合唱コンクールは市民文化会館のようです。やはり反響板があると違います。
1998(平成10)年 本校の北東側に建つのは移転前の法政一高
くぬぎ祭は毎年、生徒同士が知恵を出し合ってより良いものを目指してきました。
副題に「展示・アフターフェスティバル」の文字が見えますね。
1999(平成11)年 東校舎もリニューアル、壁面がアイボリーに塗装されて統一感が出ました。
平成8年度に第一回目が実施されたセカンドスクール 当初は高遠方面で行われました。
高遠から松本城や開智学校まで足を伸ばしていたようですね。
着実に進化を続けるくぬぎ祭 それぞれの年度で生徒たちの創造力が発揮されています。
まだ組体操も残っていたこの頃、生徒たちは21世紀に向かって駆け抜けていきました。
90年代の三中は、伝統を受け継ぎながらも新しいものを模索するという、地道な正常進化の歴史をたどっていたように思われます。この後、歴史はいよいよ21世紀を迎えます。さてさて、どのような展開が見られるのでしょうか。
「卒業アルバムを繙く その5」に続きます。
公開日:2025年05月05日 16:00:00
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カテゴリ:学校生活の様子
卒業アルバムを繙く その3 -
前回はこちらです。⇒ 「卒業アルバムを繙く その2」
「卒業アルバムを繙く」その3は1980年代の記録を拾っていきたいと思います。80年代は昭和時代の掉尾、特に1985年のプラザ合意をきっかけとしたいわゆる「バブル景気」の時代となります。この頃、三中はどのような歴史を刻んでいたのでしょうか。年を追って見ていきましょう。
1981(昭和56)年当時は、現在の校舎とL字型に接する形で西側に鉄筋校舎が建っていました。
「おもいで」と題されたページ さまざまな学校生活の場面が記録されています。
1982(昭和57)年 30周年記念時の航空写真 このような写真、現在では校庭からドローンを上げて撮影するのが主流のようですが、この頃は撮影用の小型機を調布飛行場から飛ばして撮影していました。
「夏季施設」のページ 富士山周辺での実施でしょうか、白糸の滝と思われるシーンが映っています。
運動会や校外学習 活気ある様子が記録されています。
運動会での大人数のリングウエーブ、見事な演技ですね。
1983(昭和58)年 旧体育館は東校舎として建て替えられ、教室・プール一体でリニューアルされました。
新装なった体育館ではさまざまな活動が行われています。
1984(昭和59)年、新築間もない東校舎に比べ、若干色褪せが目立ってきた現校舎
1985(昭和60)年時の写真 西校舎を除けばほぼ現在の状況に近くなっています。
大自然に抱かれて行われる校外行事 スピード感あるデザインの菱形窓のバスは昭和時代の象徴。
1986(昭和61)年時の様子 東校舎の窓から見えるX型の部材は耐震補強用のブレイス。
「校内スナップ」と題されたページ 夏場でしょうか、白いシャツ・ブラウスが爽やかです。
第35回運動会の様子 男子の棒倒し、女子の棒引きはまさに昭和の残影。
1987(昭和62)年時、現図書室の窓には「クヌギ祭」のスローガンが現れました。
今ではなかなか見られない競技も多い運動会 応援には秋田の竿灯も登場。
卒アル初登場?の「くぬぎ祭」 プラネタリウムの企画もあったようですね。
くぬぎ祭は生徒・教員・保護者が一体となって作り上げる行事です。
1988(昭和63)年の様子 図書室の窓に出されたメッセージは毎年変わっていたようです。
「弁論大会」という行事もあったのですね。
世の中がバブルに沸いていたこの時期、くぬぎ祭の展示物もなかなかに豪華ですね。
運動会の様子 学ラン・セーラー服の応援団も昭和の残影でしょうか。
1989(昭和64・平成元)年時 図書室の窓には「自由と責任について考えよう」というメッセージが見えます。
左上の記事、「三中に全天候走路」とは? 沿革史には「10.29 ランニングコース竣工記念式」との記録があります。
これもバブル時代の恩恵でしょうか。
第38回運動会と鳩の巣での飯盒炊さんの様子 奥多摩にもバブリーな風が吹き込んでいる気配が…。
「卒業アルバムを繙く」次回 「その4」は1990年代を顧みます。
公開日:2025年05月05日 15:00:00
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カテゴリ:学校生活の様子
卒業アルバムを繙く その2 -
卒業アルバムを繙く その2
前回に続いて過去の記録を拾っていきます。今回は1970年代です。1970(昭和45)年は前回の大阪万博が「人類の進歩と調和」をテーマに行われた年です。
「卒業アルバムを繙く その1」はこちらです。
1970年当時の全景写真 南東側から北西方向を写した航空写真 所狭しと校舎が建ち並んでいます。
学校生活の様子 生徒の活気は昔も今も変わることはありません。
生徒会活動の紹介 やはり学校を支えるのは生徒の自治の力ですね。
まだ木造校舎が幅をきかせています。
土地の形状からこのような角度のついた建て方になったと思われます。
1972(昭和47)年、南側に現在まで至る新校舎が落成しました。
旧体育館も西側校舎も今はなく、校庭の中央にシンボルツリー然とした柳(?)が一本。
授業スナップ 左下はLL教室でしょうか。
授業風景 やはり生徒数が多いですね。
「SCHLL LIFE」と銘打たれたページ 中央の写真は全校朝礼でしょうか。
この頃は「体育大会」と呼ばれていたようですね。それにしても生徒数が半端ではありません。
1975(昭和50)年の扉写真 木造校舎のあった場所にはシュロの木が。
登校から授業・昼休み・清掃など、当時の学校生活の光景
1977(昭和52)年度は扉写真に校歌の歌詞が刷り込まれました。
それまでアルバムのカラー写真は扉写真の1枚だけでしたが、この年から生徒写真がカラー刷りになりました。
この頃は各学年平均して200名余り、5~6学級の規模でした。
生徒数も多かったのですが、それゆえの活気ある学校生活が偲ばれます。
「卒業アルバムを繙く その3」に続きます。
公開日:2025年05月01日 11:00:00
更新日:2025年05月02日 18:00:50