本校の最寄り駅
本校の最寄り駅はJR中央線・京王井の頭線の吉祥寺駅となっています。中央線の吉祥寺といえば、高円寺、国分寺とともに「中央線三寺」と呼ばれる由緒ある駅です。吉祥寺駅着発の電車で到達可能なのは、東は東京駅や千葉駅、西は山梨県の大月駅や河口湖駅・青梅線の青梅駅、南東は渋谷駅となっています。東京駅・八王子駅へは約30分、新宿駅へ16分、立川駅20分、渋谷駅へは京王井の頭線の急行電車で17分という便の良さ。さらに、中央線に関して言えば、上りは御茶ノ水駅まで、下りは隣の三鷹駅まで、2系統の路線が使えるという好条件。その他、「立地・交通の便」や「生活の利便性」、「安全性」、「周辺環境」など総合的に判断される「住みたい街ランキング」でも、全国で常に上位に選出されている場所です。
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JR東日本 東京近郊路線図 より |
そんな好立地の吉祥寺ですが、実はここには「吉祥寺」という寺院はありません。吉祥寺駅周辺には、駅北側・サンロード商店街西側に月窓寺、光専寺、蓮乗寺という三寺があり、五日市街道を挟んだ北側にある安養寺を含めて四軒寺(しけんでら)と呼ばれる寺院群があります。しかし、どこを探しても「吉祥寺」というお寺は見当たりません。それもそのはず、吉祥寺駅命名の元になった「諏訪山吉祥寺」は現在、文京区本駒込三丁目、六義園や小石川植物園の近くにあるからです。
東京消防庁HPより |
なぜ実際に存在しない寺院の名が駅名になったのか? その謎を解き明かすには江戸時代にまで遡る必要があります。明暦3年(1657年)、江戸の街を大きな火事が襲います。街の大半を焼き尽くし、江戸城天守も焼失した、いわゆる「明暦の大火」と呼ばれる大災害です。この火災のあと、「諏訪山吉祥寺」は現在の駒込の地に移転しました。しかし、同時に焼失してしまった吉祥寺の門前町に住んでいた人たちは、移転した寺の近くには戻れず、江戸幕府の施策に基づいて現在の五日市街道沿いに移住することとなりました。本来のお寺とは離れてしまいましたが、門前町の人たちはかつての愛着の思いを地名に残し、「吉祥寺のない吉祥寺村」が誕生したというわけです。その後の1923年(大正12年)、東京は再び大きな災害に襲われます。関東大震災です。未曾有の大災害によって被災した多くの人たちは、この地に移り住んで人口が急増しました。災い転じて福と為すというが如く、二度の大災害は吉祥寺の発展を促し、今日の繁栄を築いています。
本校はこのような立地条件の場所にあります。この街の如くピンチをチャンスに変え、更なる高みを目指す志を育てる場所として、これからも歩みを進めていきます。
更新日:2024年05月07日 10:26:47