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卒業アルバムを繙く その4

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「卒業アルバムを繙く」その4は1990年代の記録です。90年代はバブル崩壊により、失われた10年間と呼ばれる(後にこれが20年、30年と続いていってしまうのですが…)時代となります。社会的には閉塞感の漂う時代となってきますが、三中ではこの間、どのような歴史を刻んでいたのでしょうか。年を追って見ていきましょう。   前回「卒業アルバムを繙く その3」はこちらです。   1990(平成2)年、西側校舎が廃され、現在の職員玄関に至る階段が設置されました。校舎本体の修繕もまもなくです。      授業風景のページ、生徒たちは淡々と日々の学校生活を重ねていました。     第39回運動会 裸足で校庭を走り回る競技もあったのですね。   生徒総会の様子 なぜかこの頃すでに珍しくなってきたモノクロ写真 まさかバブル崩壊の影響?     数えること5回目のくぬぎ祭 趣向を凝らした作品展示や演劇のパフォーマンス     1993(平成5)年。傷んでいた校舎の改装が完了、美しい姿を取り戻しました。     1年時の思い出ページ くぬぎ祭の写真は上と同じ第5回     これは3年生のときの思い出ページ 壮大なテーマのもとで生徒のパワーは全開!     平成5年時のくぬぎ祭舞台発表 演劇をはじめ、現在に至る基礎が固まってきました。     こちらは展示見学の場面 さまざまな作品に興味津々ですね。     1994(平成6)年時の扉写真 再塗装されて美しくなった現校舎が目立ちます。     1995(平成7)年時 現校舎リニューアルで東校舎の傷みが目立つようになってしまいました。     北門もリニューアル工事中 西校舎の姿はすでにありません。     運動会では聖火ランナーが登場 まだ組体操も全盛の時代です。     合唱コンクール 会場は体育館でしょうか、後ろにバスケットゴールが見えます。     1996(平成8)年時 東校舎壁面の色以外はほぼ現在の状況と同じになりました。     この年のくぬぎ祭のテーマは「生命」とのこと。壮大なテーマを追い続けています。     運動会、全員が横ラインの入った新デザインのTシャツを着用していますね。     1997(平成9)年時の扉写真 西校舎のあった部分は更地となり、その分校庭が広がっています。     運動会でのリングウエーブ 全員が心を一つにして見事な演技を披露します。     平成8年のくぬぎ祭 アイディアに磨きがかかっています。     演劇もパワーアップしてきているようですね。     この年の合唱コンクールは市民文化会館のようです。やはり反響板があると違います。     1998(平成10)年 本校の北東側に建つのは移転前の法政一高     くぬぎ祭は毎年、生徒同士が知恵を出し合ってより良いものを目指してきました。     副題に「展示・アフターフェスティバル」の文字が見えますね。     1999(平成11)年 東校舎もリニューアル、壁面がアイボリーに塗装されて統一感が出ました。     平成8年度に第一回目が実施されたセカンドスクール 当初は高遠方面で行われました。     高遠から松本城や開智学校まで足を伸ばしていたようですね。     着実に進化を続けるくぬぎ祭 それぞれの年度で生徒たちの創造力が発揮されています。     まだ組体操も残っていたこの頃、生徒たちは21世紀に向かって駆け抜けていきました。    90年代の三中は、伝統を受け継ぎながらも新しいものを模索するという、地道な正常進化の歴史をたどっていたように思われます。この後、歴史はいよいよ21世紀を迎えます。さてさて、どのような展開が見られるのでしょうか。   「卒業アルバムを繙く その5」に続きます。


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