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卒業アルバムを繙く【本文】
学校に保存されている歴代の卒業アルバム、そこに残された三中の歴史を繙いていきます。 今回は昭和30年代から40年代初めにかけての様子です。 これに先立つ開校時からの写真はこちらです。 ⇒ 「開校記念日に寄せて」 1957年、開校5周年時のアルバムから 開校当初の木造校舎です。 運動会及び記念式典の様子 今に至る三中の源流となる様子が垣間見えます。 日常の学校生活 授業・お昼・掃除の風景 昼食は「中食」だったのですね。 それにしても凄い人数、机の間の行き来も難しそうです。 まだ給食のなかった頃、持参したお弁当がお昼の楽しみだったようです。 理科の実験などの様子です。 昭和37年の第11回運動会、武蔵野市営グラウンド(現在の武蔵野陸上競技場)で実施されました。 昭和37年の修学旅行 見学地の様子は昔も今も変わりませんね。ただ、…。↓ 日程はこのようになっていました。初日の朝もですが、帰りの解散が朝の6時45分というのが驚きです。 ※ この日程に関する資料はこちら → 東京から関西へ 右上の体育館は昭和34年、左下の鉄筋校舎は昭和36年の竣工です。 西側に建てられた鉄筋校舎 現在は校庭の一部になっています。 1967(昭和42)年の卒業アルバム扉写真、現在の北門付近から南方向を撮ったと思われます。 昭和43年度 第17回卒業式 女子大通りから 北側にあった正門を望む。 生徒による保護者受付の様子は今も変わりませんね。 卒業証書の授与、壇上に整列して順番を待ちます。 三年間の思いと新しい世界への希望を抱いて卒業証書を受け取ります。 在校生の送辞か、卒業生の答辞か。 このときは244名の卒業生が巣立っていきました。 「卒業アルバムを繙く その2」に続きます。【添付ファイル】
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