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開校記念日に寄せて【本文】
4月28日、今日は本校の開校記念日です。沿革史によれば、昭和26年(1951年)2月1日、武蔵野市吉祥寺363番地に設立認可を受けた本校は、3月1日に初代校長が着任、4月21日に落成した新校舎に入り、4月28日に第一回の入学式を挙行、この日を開校記念日として1,2年生403名での歴史が始まりました。 以来、74年の月日が流れましたが、教職員と生徒が共に向上を目指し、保護者・地域の皆様方からの支援をいただきながら、歴史と伝統が創り上げられてきました。その「自主・自律」の校風は、「責任ある自由」という言葉となって、今日の生徒たちの学校生活に脈々と受け継がれています。今後も、生徒、保護者、地域の方々、教職員がともに力を合わせ、伝統を継承しながら更なる高みを目指す三中でありたいと思います。 以下、過去の卒業アルバムや生徒会誌から、思い出のシーンをいくつか紹介します。 開校当時の校舎 ここは正門です。 部活動紹介のページ 山中湖に学校寮があったのですね。 第3回卒業式の様子 狭い会場ですが、一人一人の思いが伝わります。 これは運動会 当時は各学年7~8学級ありました。 体操着も競技種目もまさに昭和。 器械体操のような演技種目が校庭狭しと繰り広げられます。 昭和30年度の運動会 頭上の万国旗は当時の定番でした。 なかなかに斬新な演出 掛け声の表記に時代を感じます。 昭和29年度の修学旅行 建築物の様子は昔も今も変わりませんね。 東大寺二月堂の前で記念撮影 ボンネットのないバスは当時の最新型? 法隆寺夢殿の千円札や、清水寺での一寸法師の活躍 今知る人はどれほどでしょう。 法隆寺金堂壁画の焼失は昭和24年 まだ被災の記憶が生々しい頃です。 中央の写真は東塔しかなかった頃の薬師寺 青空法話が行われています。 薬師寺の青空法話に関する資料はこちら → 薬師寺の復興 昭和32年度の「各組得意の演劇腕くらべ」 現在の「くぬぎ祭」の原型でしょうか。 生徒会誌「ひろい窓」創刊号の表紙 「ひろい窓」に記された生徒会の活動記録 部活動の紹介欄 端正な文字で記された文章 当時、謄写版刷りの印刷は、今とは違って原稿は手書きで記され、気の遠くなるような作業を経て完成されています。このような地道な活動が三中の歴史を支えているのですね。【添付ファイル】
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